エジプト考古学博物館は、世界でも有名な博物館の一つに上げられるほど。
それは、あのツタンカーメンの黄金のマスクや財宝が展示されている事で有名です。
それだけではなく、古代エジプト史に必ずといっていいほど名前が登場するラムセス2世のミイラもこの博物館に眠っています。
ラムセス2世は、古代エジプト新王国時代大19王朝(約3300年前)に君臨したファラオ(王)。
エジプトを旅すると、必ずラムセス2世像を見ることになるでしょう。
カルナック神殿、ルクソール神殿、アブシンベル神殿を作ったのがラムセス2世で、彼は自分の巨像を多く残しています。
それほど、力があったってことでしょう。
考古学博物館に一歩踏み込むと、巨大なラムセス2世像4体があなたを迎えてくれます。

でも、この考古学博物館、簡単に入ることはできません!
それは、考古学博物館の前の道は、いったい何車線あるのか分からないほど車の往来が激しく、信号などないので、車はスピードを出して大通りを突っ走っているのです。
信号や横断歩道など無い何十メートルもある大通りを渡りきらないと、博物館には入れないのです!
見学するには、命がけです!(ちょっと大げさ?)
こんな危険な博物館は他にあるでしょうか?
日本では、信号機があって「青になったら道を渡りましょう」と教えられていますが、エジプトにはほとんど信号なんてありません!
車の動きやスピードを見て身分で判断し、タイミングを見計らって一気に渡りきるか、車が途切れたちょっとした隙に一斜線ずつ渡るのです。
タイミングがつかめないと、大通りのど真ん中で1人取り残されるこもあります。
オロオロしている私の横を、エジプト人はスイスイ渡って行きます。
私も一緒に渡ろうとするのですが、どうもタイミングがつかめず、迫ってくる車にビビッてしまって、腰が引けちゃうんです。
道を渡るだけで冷や汗が出てきて、神経を集中させないといけません!
渡りきると、安堵とともに一気に疲れが出てきます。
みなさんも、是非挑戦してみてください。
ちなみに、エジプトに1週間いると渡れるようになりますよ。
なので、日本から行ってすぐに考古学博物館前の道を渡ってみてください。
そのかわり、車に跳ねられないようにね!
  考古学博物館

何度も門を通過し、セキュリティーチェックをしてやっと敷地内に入れます。
(photo by ちーちゃん)

館内冷房は効いてい。無風状態で湿気が多く、展示物の多さと人の多さで疲れてしまう。
世界各国の団体客が押し寄せ、館内は人・人・人・・・

午後の方が人が少なくゆっくり見ることができた。


(私が行った当時、館内撮影OKでした。今は無理かも?)


この台は、死体をミイラにするための台。
ここで内臓を取り出し、流れ出た血は左の受け皿に流れるように傾斜がつけられてある。



ツタンカーメンの棺を守る2体の像(手前と奥)
この像がツタンカーメンの棺がある部屋の入口に何千年も立っていた。
今にも動き出しそうだった。


  
これが有名なツタンカーメンの黄金の椅子
背もたれには妻であるアンケセナーンがツタンカーメンの体にオイルを塗る姿が描かれている。
王の椅子の前には必ず足置き台がある。

椅子の前もライオン。
椅子の足はライオンの足になっている。
やっぱり、エジプトはライオンと深いつながりがある。
やっぱりスフィンクスはライオンで、二体あったのでは!?
詳しくは著書「やっぱり旅はやめられない イスラム編」を読んでね!


ツタンカーメンの4つの内臓がこの中に入っていた大理石の入れ物。

4つの臓器を4人が守っていた。 4人が向かい合ってお互いを見張っているようだった。


上の大理石の内蔵入れは、ここに入っていた。
四方には4人が両手を広げ棺内を守っていた。



ツタンカーメンの棺の上に置かれてあった花束。
これは夫の死を偲んで妻が置いたといわれている。その話を聞いていた私は、最後に野に咲く小さな花をそっと置いたのだろうと想像していたけど、本物は1.5mほどある巨大な花束だった。
このエピソードを知らない人が多いのか、みんな黄金の副葬品に集中し、この枯れ木(花束)には観光客はいなかった。
そして、この花束は建物の隅にひっそり展示されていた。


ツタンカーメンの棺が置かれている部屋は、冷房がかかっていた。

この部屋だけ暗く、黄金のマスクや棺にスポットライトが当てられ、黄金の輝きを放っていた。
この部屋には入ると、神秘的な空気に包まれていて、みんな息を潜ませじっくりツタンカーメンのマスクを見ていた。

棺は3層になっていて、奥の棺が外側(3層目)で、装飾がカラフルだった。
手前の棺は2層目。



外側の棺は装飾が細かく飾られてあったツタンカーメンの棺は、何でも三重構造になっていた。
棺が置かれていた部屋も三重構造だった。


黄金のマスク。
前、後ろ そして下から。
   


(photo by ちーちゃん)
カイロ博物館(考古学博物館) 入場料  20£(368円)
       〃           カメラ代  10£(184円)
       〃           ミイラ部屋 40£(736円)

2003年9月情報
 カイロ博物館をじっくり見よう!

この博物館は展示物が豊富の為、有名な展示物を見逃してしまうほど。
エジプトに来る前、自分なりに勉強して挑んだけど、この博物館だけは、説明してくれるガイドが必要だと思った。
日本人団体客を見つけては、日本語ガイドの説明を盗み聞きし、たまに注意されながらもガイドの説明を聞きながら展示物を見ると、より深く知る事ができて独自で見るのとでは全然違う。
最初は後ろの方で聞いていたけど、どんどん前に行って客のフリしてたまに質問までしていた。
団体客は、写真を撮ることに必死で、中にはガイドの話をあまり聞いてない人も。
みんな興味ないのかなぁ〜?

午前中は団体観光客が多く、展示物が見えないほど。
ガイドブックには午後になると団体客が押し寄せるので午前中に行くことを勧めているけど、私が行った10時過ぎからカイロ博物館前にはチケットを入手する人がいっぱいで、中へ入る検査で長陀の列だった。
午後になると団体客はいなくなり、ツタンカーメンの部屋もガラガラだった。

2003年秋、ツタンカーメンの黄金の棺やマスクの部屋と、ミイラの部屋しか冷房がなくて、館内は暑くてたまらなかった。
その後、2005年にエジプトに行った知人は、全室冷房で涼しかったと言っていた。
そして、私が行った時は、博物館内の写真はOK(フラッシュは禁止)だったけど、2005年は館内写真が全面禁止になっていたそうな。
どっちがいいのやら・・・?

ミイラの部屋には、たくさんの歴代の王が今も眠っていた。
(ミイラ部屋は、写真撮影禁止)
女性のミイラもあり、1人の女性は右顔半分がつぶれていた。
もう1人の女性は、肌の色は黒く顔の輪郭や唇などからして黒人だと分かった。
その女性は髪の毛をいくつも細い三つ網にしていた。
その三つ網は、今の黒人と全く同じヘアースタイルだった。

中もラムセス2世のミイラは、保存状態が格段に良く、まるで寝ているよう。
今にも指とかピクリと動きそうだった。
爪までしっかり残っていて他のミイラより美しい。
ラムセス2世は92歳で亡くなったといわれているけど、老人とは思えない背の高さだった。
昔の人でこれだけの身長があったのは、もしかして珍しかったのでは?
あの、ラムセス2世が私の目の前で眠っていることが信じられなかった。

ツタンカーメンの黄金のマスクや棺の部屋は証明を落とし全体的に暗い。
スポットライトを当てらてたツタンカーメンのマスクは、黄金なのになぜか温かみを感じた。
ツタンカーメンを角度を変えてみていると、それぞれ表情が違うような気がした。
斜めからだと、男性らしく引き締まった表情。
横からだと、優しそうな表情。
前からだと、正面をしっかり見つめ凛々しいが、少し寂しげに見えた。
それは、若くして暗殺されたたことを悔やんでいるかのようだった。

カイロ博物館には数多くの展示物がある。
中でもツタンカーメンの墓から見つかったものが多く場所を占めていた。
ツタンカーメンは、発見されるまで存在を抹消され、若くして暗殺された王。
無名の王だったので、盗掘に狙われずにすんだ。
たくさんの副葬品には細かい彫刻がほどこされた黄金ばかりだった。
王として君臨した月日が少ないにもかかわらず、これほどの黄金の副葬品があり、手厚く葬られている事を考えると、ラムセス2世や名前が残っている歴代の王の墓はいったいどんな副葬品があったのだろう・・・。

ツタンカーメンは今から約3500年前に即位したといわれている。
棺や黄金のマスクは約3500年前のものとは思えないほど美しい。

ツタンカーメンの副葬品の中に、珍しく黄金色でない移動式用の折りたたみベットがあった。
驚いた事に、よく見ると折りたたみ部分に今の時代と全く同じ金属のちょうつがいが使われていた。
それを見たとき、古代エジプトは今の時代より、もしかしてすごい文明だったのではないだろうか・・・と思わずにいられなかった。
当時の埋葬品を見ていると、細かい装飾を施してあって、今の技術とさほど差が無いように思えた。 高度な技術が3500年前からあったことに驚いてしまう。

もし、あなたがカイロ博物館に行くことがあるなら、じっくりいろんな展示物を見てください。
古代エジプトのすごさを感じることができるでしょう。


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