朗徳への行き方
凱里の長距離バスターミナルから南部行き(雷山や溶江行き)のバスに乗る。
凱里の長距離バスターミナルの場所は、凱里のページを見てね。
私は朝8時半に宿を出て、バスターミナルに行くってチケットを買うと、2分後の8:40発。
朝食も買えずそのままバスに飛び乗った。
チケットを見てもらっても分かるように、バスには座席番号があるので、書かれている番号どうりの座席に座りましょう!
凱里 ― 朗徳 8元(127円)
所要時間 1時間
バスを降りてから朗徳への行き方
朗徳は、バスが走る道よりさらに山の中に入っていく。
徒歩なら1時間ほどらしい。
バスを降りると、軽自動車が数台が停まっていた。
どうやら、朗徳へはこの車に乗って行くらしい。
3元(47円)と言われたが、2元(31円)におまけしてもらう。
※注意 帰りは朗徳の前から車は出ていないので、歩いてバス通りの道まで出ることになるかも? 車が後ろから走ってきたら乗せてもらいましょう。
【中国旅行記】 〜朗徳村〜
施洞を後にし、凱里に一旦戻り、次の目的地に向けて出発した。
次の目的地は、『朗徳』。
私が初めてミャオ族の存在を知った村。
1998年ごろ、伊丹市で行われた、中国少数民族のダンスのコンサートへ行った。
コンサートが始まる前、司会の人が、こんなことを言っていた。
「今回、ダンスを披露してくれるのは、プロの人たちではなく、普段は貴州省の山深い小さな小さな村で田畑の仕事をしているごく普通の村人です。
私が何年も貴州省に通い、ミャオ族の素晴らしい民族衣装やダンスに惚れこみ、村人に頼んで伊丹まで来てもらいました。
このようなホールの舞台で披露するのは、彼らにとって初めてのことです。
今回披露するダンスは、村のお祭りで踊っているもので、講演用ではありません。
普段は村の中心の広場で村人同士が踊るものです」
コンサートの前に、そのような説明をすることも珍しく、今からどんな物を見せてもらえるのだろうかとワクワクした。
そして、想像を絶する素晴らしい民族衣装や銀細工装飾、民族ダンスや音楽に夢中になった。
貴州省へ行くことが決まった時、あのコンサートで見たミャオ族の美しい装飾を身につけた民族衣装をもう一度見たくて、主催者に問い合わせた。
「あの人たちが住んでいるところはどこですか?」
「凱里周辺のいくつかの小さな村から着たといっていました。」
「じゃ、村の名前を教えてください。」
「小さな村なので、地図には載っていないようですよ」
「現地で探してみます」
いくつかの村の名前を教えてくれた中に『朗徳』があった。
凱里で情報を収集し、朗徳なら凱里からバスで1時間ほどのところだとわかった。
よし!朗徳へ行こう!!
私は凱里から桂林に向け、南下していく途中にある朗徳で途中下車した。
バスは、何もない場所で停まり、「朗徳に着いたぞ」と運転手は私に教えてくれた。
ここが朗徳!?
何もないんですけど・・・
とりあえず、バスを降りると、右側の山々に延びる一本の道があった。
朗徳は、この道を行くようだ。
軽ワゴンの乗り合いタクシーが私が来るのを知っていたかのように停まっていた。
朗徳の村はここから歩いて1時間ほど山に行ったところだという。
普段なら歩いて行くけど、南下するため私は大きな荷物を背負っていて、そんな距離は歩けない・・・
タクシーと交渉して朗徳の村へ行ってもらう。
15分ほど行くと、「ここが朗徳だ」と降ろされた。
山の傾斜を使用した小さな小さな村。
村の前には川が流れていて、そこには風雨橋があった。
あれ?風雨橋ってトン族って聞いてたのになぁ〜?
この風雨橋は新しい。
以前、川が氾濫して以前の風雨橋は流され立て替えられたんだとか。
村に入る道は、人がすれ違うのがやっとのような細い道。
その道には、小石を敷き詰め柄が描かれていてとってもかわいらしい。
ちょっと傾斜の細い道を上がると、村の広場に出た。
この広場で村のお祭りや行事がある。
この広場の床一面にも小石で柄が描かれている。
ここだけじゃなく、村の中の細い道全てに小石で柄が描かれている。
村の建物は全て木造。
古くて小さな集落だけど、整備されていて、とってもきれい。
民家の軒にはトウモロコシが吊るされてある。
寒い冬の午前中だったからか、村人があまり出歩いていない。
私が村の中をウロウロしていると、家の前でたたずんで私の行動を見ている人が何人かいた。
「ニーハオ」とにこやかに挨拶すると、村人たちは安心したかのように笑顔になり、
「ニーハオ」と返事をしてくれた。
一人の女性が、私に手招きをして家に招いてくれた。
家は二階建てで、二階が住居。
階段を上がると、はたおり機と手作りの民族衣装がいっぱい。
その奥には、テレビが一台だけ。
シンプルな家。
民族衣装は、家に招いてくれた若い女性の全部手作りだという。
衣装にはすごい細かい刺繍がほどこされてあり、刺繍だけでもすごい時間がかりそう。
村を後にし、道に出ると若い女性が大工仕事を手伝っていた。
さあ、これからまたバスに乗って次の目的地に行きたいけど、さっきの乗り合いタクシーはもういない。
待てどもこんな山奥にタクシーなんて来るわけがない。
ここはバスも走ってない。
帰り道のことまで考えてなかった・・・
途方にくれても仕方がない、とりあえず歩いてバスが通る道まで行くしかないか。
歩き出した時、後ろからバイクがやってきた。
慌てて、バイクに合図を送り、「おっちゃ〜ん。私も乗せてぇ〜〜」と大阪弁で言うが、
バイクのおっちゃんは怖がって走り去ってしまった。
「えぇっーーーー!おっちゃ〜ん、待ってぇ〜、私を乗せてぇ〜」とバイクを追いかけた。
すると、バイクのおっちゃんは止まってくれ、私を後ろに乗せてくれた。
やったー♪ ヒッチハイク成功!
おっちゃんの後ろから抱きつき、むっちゃ冷たい風を切りながら山道を走る。
風が冷たすぎて、涙が飛んでゆく。
徐々に顔の感覚がなくなってくる。
鼻水も飛んでゆく。
おっちゃんが停まってくれたおかげで、私は重い荷物を背負いながら1時間以上歩くこともなく、
無事バスが通る道まで行くことができた。
30分ほど待つと、バスがやって来た。
ここはバス停などないから、走ってきたバスに合図を送って停まってもらう。
寒い寒い朗徳を後にし、私は次の村を目ざした。
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